全国調理食品工業協同組合

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全調食 公認企画「私と調理食品」2017

 

全国調理食品工業協同組合 公認企画 「私と調理食品」(12)

全国調理食品工業協同組合 公認企画 「私と調理食品」(12)
 
鳩屋株式会社 代表取締役社長 柴田 純道氏
「継続は力なり」で努力
主力原料・ピーナツへの思い

弊社は昭和27年に埼玉県大宮市で「味噌」の量り売り店として創業した。外売りといわれる個人客への訪問販売と店舗販売を行い数年後には東京都練馬区にも支店を設けた。スーパーマーケットが登場し始めた頃、仕入れた味噌や佃煮をリパックして販売、スーパーの店舗数増加と共に少しずつ事業を拡大した。

昭和42年に大宮市大和田町に本社工場を建設(現在工場は北本市に移転)。当時の売れ筋商品は赤・黄・茶色のでんぶを詰めた「三色でんぶ」だったが、味噌の販売で培ったノウハウを生かし「ピーナツみそ」製造メーカーへと次第に軸足を移していった。

三代目となる私は埼玉県大宮市で生まれた。幼い頃は商売が芳しくなく、苦労する両親の姿を見て、幼心に〝親を手伝って会社をそれなりにしていかなければいけない〟という強い責任感を抱いていた。

中高6年間は高知県の学校に進学し寮生活を送った。入学当日に頭を丸刈りにされ、勉強・部活(バスケットボール)・食事・風呂・また勉強という一日のサイクルが繰り返された。テレビは一日30分、現金を持っていると停学という厳しい校則の中、週末になると地元に住んでいる生徒の親が差し入れてくれるカップ麺やお菓子を食べることが唯一の楽しみだった。極度の欠乏状態に耐えることで精神的には著しく鍛えられたと思う。

国際的な視野を広げるため、大学は海外に飛んだ。米国サンフランシスコのサンマテオ大学で経営学を学んだ。海外生活に慣れていくうちに、少しずつ自分の行動範囲が広がっていくことに喜びを覚え、学位とともに最終的にはヘリコプターの免許まで取得した。

24歳で帰国し家業に入った。入社して2年間は工場で製造から出荷までの工程を学んだ。その後、専務となり営業全般を担当、35歳で社長に就任した。平成24年に生産キャパの拡大のため北本市に第2工場を建設したことは大きな決断だった。現在はピーナツ味噌・しそ巻き・カリカリピーナツを三本柱として事業を行っている。
 
今後、人口減少など市場がシュリンクしていく中で、同じものだけを作っていたら売上が減っていくのは目に見えている。しそ巻きの製造を10年前に新たにスタートしたように、弊社は時代に応じて売れるものを作ってきた。今後も試行錯誤を繰り返しながら売れるものを作っていく。販路に関しても、お土産関係や通販など新たなフィールドを開拓していきたい。
 
主力原料である〝ピーナツ”はジャガイモのように土の中にできるが、根っこではない。地上で花が咲き、その花が散り、土の中に入りサヤができる。だから“落花生〟という名前で、そういう意味では他のナッツとは少し異なるユニークな性質をもつものだ。昔は、アメリカ・中国・南アフリカが産地だったが、今はアルゼンチン産を使用している。非常に良い品質で、商社が情熱をもって新しい産地を見つけてきてくれた。それに応えられるようしっかりと製品を売ってアルゼンチン産ピーナツの需要を支えていきたい。
 
座右の銘は「継続は力なり」。いくら才能があり上手でも経験1年の人が、経験10年の人にはなかなか勝てない。何事もじっくり腰を据えて取組まなければ結果はでない。〝売れないから止める〟ではなく、売れなくても悩み考えて売れるように努力していくプロセスが大切だと思っている。

趣味はウエートトレーニング。重い物を持ち上げるためには、頭の中を真っ白にする必要がある。社長に就任してから四六時中、何かしら頭の中に悩み事を抱えていたが、トレーニングを始めてから、トレーニング後は脳内の絡まった糸が解れ、頭の中をリフレッシュできるようになった。限界を超えてから筋肉が成長していく過程も、仕事に通じるものがある。仕事も限界までやるのは当たり前で、そこから差ができるものだと思っている。

全調食には平成13年の調理食品青年交流会横浜大会の際に、当時の大会会長であった佐々商店・佐々重雄社長からお誘いを受け、それを機に加入させて頂きました。これまでにたくさんの経験を積ませて頂き感謝しています。今回の神戸総会で新たに理事に就任致しましたので、今後ともよろしくお願い致します。(藤井大碁)
 
【柴田純道(しばた・よしみち)】
1967年埼玉県大宮市生まれ、サンマテオ大学経営学部卒業後、1991年鳩屋株式会社入社、2002年より代表取締役社長
【2017年(平成29)年5月29日第4892号2面掲載】
 
鳩屋 公式HPはこちら→http://www.hato-ya.co.jp/
 

全国調理食品工業協同組合 公認企画 「私と調理食品」(11)

全国調理食品工業協同組合 公認企画 「私と調理食品」(11)
 
菊池食品工業株式会社 代表取締役社長 菊池 光晃氏
社員は家族、人財です
新卒採用で〝菊池イズム〟注入

私は社長に就任してまだ4年も経っていないのですが、社長就任前の時間も含めて最重点に学んだことは、人材の採用、育成です。自分なりの考えを持って自分らしくやってこられたことです。

私にとって社員は家族です。人材ではなく、人財です。会社を支えているのは社長ではなく、社員です。会社とは働いているみんなのものです。自分がこの人だと思って採用を決めて、社員もこの会社だと思って来てくれています。新卒採用を14年連続で行っていることもあり、営業部の平均年齢は20代と若いです。若いということは未来があるということです。若さは活力を生み、パワーが出てきます。もともと体育会出身の社員が多く、活気があるのが当社の特徴であり、自慢です。
 
当社は大正3年創業で、私は平成25年7月に4代目社長として就任いたしました。みんなに望まれた社長就任だったかは分かりませんが、会社と社員を盛り立てることが自分の役割だと認識し、私の次に社長になる人に人財を託せるように取り組んできました。当社は3年前に創業100周年を迎え、200年企業を目指しています。その中で、私が社長でいる時間は限られています。もちろん、今も大事なのですが、将来のことを考えて行動することも重要だと思います。

小さい時から会長に「お前はお前の人生を歩め」と言われてきました。会社に入って後を継ぐような雰囲気は全くありませんでしたし、私自身も広告代理店やテレビ局など派手な業界で仕事がしたいと思っていました。そんな状況が一変したのは20歳の時でした。就職のことを考え始めていた時にお婆ちゃんから「家業は長男が継ぐべきだから、あなたがやりなさい」と言われました。なぜだか分からないのですが、その言葉が強く胸に刺さり、菊池食品工業で仕事をしようと決意しました。しかし、食品業界のことが全然分からなかったので、修行に出ることにしました。
 
大学を卒業後、株式会社東京かねふくに入社して築地市場の担当を約3年させていただきました。その後、株式会社ダイエーに入社して青果売場、本部で仕事をさせていただきました。30歳で菊池食品工業に入社しましたが、どこに行っても評判が良い社長(現会長)の後を継ぐことは無理だと思っていました。社長の息子という立場で入社したわけですが、そのまま社長に就任できるのかというとそれは別の話で、誰が社長になってもいいというわけではありません。私は副社長の立場から専務に降格になったこともあり、社長という立場を意識することはほぼありませんでした。それが3年前に100周年を迎えて社長交代となったわけですが、100周年という節目を迎えてなければまだ交代していなかったと思います。
 
社長就任のタイミングとしては一番数字的にも厳しい時でした。ただ、一番悪い時にスタートすれば苦労も多い分、知恵も出てくるだろうという考えもあったのだと思います。そんな状況でも気負いやプレッシャーはありませんでした。これまでやってきたことを信じてより細かい部分でやり続けようと決意を新たにしました。
 
私が入社した時に感じたことは、本当の意味で人財がいないということでした。そこで取り組んだのが人財の採用と育成です。当時、中小企業は新卒よりも中途の方に目が向いており、人を育てるというよりも即戦力が欲しいというスタンスの企業が多かったと思います。確かに新卒採用の社員は経験がないので、育つまでに時間がかかるという課題があります。しかし、新卒のメリットは育てば未来の人財になり、当社の企業文化を理解して前向きに行動してくれます。まさに〝菊池イズム〟です。また、離職率が低いのも当社の特徴だと思います。
 
良い会社の定義は、収益性、成長性、安定性のある会社だと思いますが、そういった会社を作るには自分たちで考えて行動できる人財が必要です。社員育成のために年間1500万円をかけて全社員を対象に2泊3日の研修を行っています。この費用を分配することも可能ですが、社員のスキルアップにお金と時間をかけた方が会社の将来のために役立つと考えています。当社には「菊池食品の社員はこうあるべき」という心得を9つ設定し、毎朝唱和しています。当たり前のことを当たり前のように継続してすることが大事で、基礎ができていないと応用はできません。基本の大切さを再認識するためのものです。
 
人財の募集は私が直接担当し、入社以来、15年続けています。大学の就職センターに行って打ち合わせも行いますし、説明会で会社の説明をするのも私です。そして、1次から最終まで全ての面接に立ち会い、本気で向き合います。入社後、かなり無理をして頑張っていたのですが、1人の力は本当にわずかなものだと感じた時がありました。その時、1人で頑張るよりも頑張る仲間作りをしようという考えに変わりました。そこから人財育成と社員をサポートする側に回ろうと考えました。1人で頑張り続けることはできませんし、みんなが同じ方向に進めば大きな力になります。人財は売上や利益と同じくらい大事なものです。目指しているのは良い意味で人間味が溢れていた昭和時代の会社です。いま、これらの取組みが成果として出てきたことを実感して喜んでいます。(千葉友寛)
 
【菊池光晃(きくち・みつあき)】
1967年9月、東京都板橋区生まれ。玉川大学教育学科卒業後、株式会社東京かねふく、株式会社ダイエーを経て1998年に菊池食品工業㈱に入社。平成25年7月に4代目社長に就任。
【2017(平成29)年4月24日第4888号5面掲載】
 
菊池食品工業 公式HPはこちら→http://www.kikuchi-shokuhin.co.jp/
 

全国調理食品工業協同組合 公認企画 「私と調理食品」(10)

全国調理食品工業協同組合 公認企画 「私と調理食品」(10)
 
丸一北川食品株式会社 代表取締役社長 北川 勝三氏

小樽から〝おふくろの味〟を
 市場の惣菜屋から91年

 父・北川紋二が出身地である富山から札幌に移住、その後、小樽に移り、大正14年に夫婦で市場の惣菜屋を始めたことが弊社のルーツになる。母親が作る手造りの惣菜の味わいが評判になり一時は市場40店舗の大家になる程繁盛していた。
 戦後、父は兵役を終え、昭和26年に北川食品株式会社を創立。漬物・佃煮・煮豆の製造を始めた。私はちょうどその頃、昭和23年に三人兄弟の三男として小樽で生まれた。当時、北海道では大根が余り農家が困っていたため、その大根を安く仕入れ、沢庵漬を製造することで会社が大きくなっていった。沢庵漬の全盛期、北海道の製造量はものすごい量で、道内に25社あった沢庵漬メーカーが製造した沢庵漬を父がコンテナにまとめ上げ、東京や大阪・名古屋・京都など全国に出荷していた。当時の売上は漬物が7割で佃煮・煮豆が3割程だったと記憶している。
 会社の売上が伸びていく中で、不動産の運にも恵まれた。会社や工場を建設した土地が周囲の発展と共に次々と要所となり、売却や賃貸で大きな収入を上げることができた。
 私は団塊の世代で、東京の大学に進学したものの、学生運動の影響で大学二年の時に学内がロックアウトになってしまった。何もすることが出来ず、渋谷近辺にあった取引先の漬物屋さんにアルバイトとして雇ってもらい働いた。大学卒業後、父から呼び戻され、家業に入り何でも覚えるために何でもやった。その後、営業として道内や東北エリアを長年担当、北海道では沢庵やにしん漬、東北では煮豆や小女子の佃煮を主に販売してきた。営業で回る問屋さんの担当者から厳しく叱られることもあり、多くの方が自分を育ててくれた。取引先の諸先輩方との色々な出会いや別れにより人間性が養われたのではないかと思う。
 57歳まで営業担当の常務としてやってきて、60歳の定年で会社を辞めようと思っていた。しかし、突然、現会長である一番上の兄から会社を継いでと頼まれ、平成17年に三代目の社長に就任した。まさに〝寝耳に水〟だったが、兄とは16歳離れており、「お前のおしめを自分が替えてやったんだ」と言われるといつも何も言い返すことができない。
 社長に就いて初めて、父や兄の苦労を理解することができた。父は明治生まれの気骨のある人間で、体格が大きく腕っぷしも強く、小樽の町でも知られた存在だった。子供たちにも大変厳しく、幼少期は一緒に食事をした憶えが一度もない程、仕事熱心だった。父は100歳まで生きたが、私が社長就任後、亡くなるまでの最期の9カ月間、お見舞いを兼ねて色々と経営の相談に乘ってもらうことができた。今までにない父との濃密な時間は自分にとって大変貴重なものだった。今の自分と会社を造り上げてくれたのは父のおかげであり、心から感謝している。
 会社の理念と私の座右の銘は同じで、「おふくろの味を食卓へ」だ。お袋が炊き、親父が売る。夫婦二人三脚の小さな町の惣菜屋からスタートし創業91年、私で三代目を迎えた。いつまでも〝おふくろの味〟を守っていきたい。
 北海道の人口は最盛期に比べ約30万人減少した。それと共に佃煮メーカーも半減した。だが、実際自分も年寄りになってみると佃煮の魅力に改めて気付かされることもある。少子高齢化の中、糖分・塩分を控えめに健康にも配慮した美味しい製品づくりを目指していきたい。
 全調食北海道ブロックの青年部会(実務担当者会議)で、広島・大阪・名古屋・東京など各地の人達と出会い、業界の先行き等について話し合いができる貴重な皆様と今もお付き合い頂いていることを有難く思っています。阪神大震災の年の調理食品青年交流会が神戸大会だったため、その年の開催地を北海道に急遽変更し、その後神戸で開催したことも記憶に残っている。様々な貴重な体験をさせて頂き感謝しています。今後ともよろしくお願いします。
【北川勝三(きたがわ・しょうぞう)】1948年小樽市生まれ、駒沢大学経済学部卒業後、1971年丸一北川食品㈱入社、2005年より代表取締役社長
(藤井大碁)

【2017(平成29)年2月27日第4880号3面】


丸一北川食品株式会社 http://www.zen-ika.com/member/k-102.html(全国いか加工業協同組合HP)
 
 

全国調理食品工業協同組合 公認企画 「私と調理食品」(9)

全国調理食品工業協同組合 公認企画 「私と調理食品」(9)
 
株式会社オノウエ 代表取締役 尾上 一幸氏

〝おばんざい屋〟として
 京都の食文化の魅力伝える
 弊社創業のきっかけは、たたき牛蒡だ。先代である父は、母方の祖父が営む佃煮屋で修行をしていた。父はおいしいものを多くの人に食べてもらいたい一心で、自分の母親のつくるたたき牛蒡をまねて、中央市場で販売することを思い立った。そのたたき牛蒡が好評でよく売れたので、惣菜部門ができ、惣菜を手がけ始めた。父には「祖父の佃煮屋には迷惑をかけたくない、違う分野で成功したい」という想いがあったのだろう。私が10歳の時に、佃煮屋ではなく、惣菜専門メーカーとして独立し弊社を創業した。
 「おばんざい」は京都のお母さんたちが家族のために手間と時間をかけ、知恵と工夫を凝らしてきたものだ。私は代表としては2代目だが、祖父の代から数え、おばんざい屋としては3代目だと考えている。
 創業時、私は小学生で、すでに家業を手伝っていた。夏休みや冬休みは中央市場について行き、土、日曜日も家族全員で仕事を手伝っていた。高校入学と同時に始めた吹奏楽で、3年時に全国大会へ出場した。「仲間を信じ精一杯やれば結果は出る」という経験や、周りの人に感謝し、一つのことをやり続けることの大切さを学んだ。その後も楽器の演奏を大学・社会人と吹奏楽団で続けた。
 大学生の頃に紳士靴販売のアルバイトをしたが、自分の薦めた靴を気に入って笑顔で帰るお客様を見て、商品を売る喜びを覚えた。今でもオノウエの商品を買って、喜んで帰っていかれるお客様を見ることが仕事の支えになっている。
 大学を卒業した後、段ボール製造会社に就職。家業を継ぐことを明言していたが、新しい世界で思いっきり働くことは気持ちが良く、自信もついた。その後、滋賀県にあるオノウエの系列の卸売会社で働いた。そこで様々な佃煮製品を取り扱い、業界について勉強することができた。その頃から、オノウエの営業を兼務していたが、平成8年、正式に専務としてオノウエへ入社した。
 7年前に父が急逝し、社長に就任したが、手づくりで、手間をかけて商品をつくって、これから商売としてやっていけるのかと本当に悩んだ。ただ、おばんざい、京都の食文化の素晴らしさ、面白さを学び、感じている中で、当時の日本惣菜協会会長の石田彌さんから「オノウエの作る惣菜は他にはない」とお声がけ頂いたことや、様々な方に励まされたことで、この仕事を誰かがやらなければならないと決意した。だが、同時に、弊社は裏方で、料理屋、百貨店、スーパー、居酒屋などに商品を納めていたが、自社の名前「オノウエ」を売らないと、付加価値は確保できないと考え直した。それがNB商品を本格的にやり始めるきっかけとなった。
 5年前から百貨店をはじめとした催事に出店するようになった。関東を中心に毎月1~2週は出店している。最初は商品の値決めが難しく苦悩したが、売場でお客様の生の声を聞けることは貴重な機会で、大変勉強になり、やりがいにも繋がっている。
 販売に自信を持てるきっかけになったのは京都産のタケノコを使用した「京たけのこ御飯」をご評価頂いたこと。農家さんと一体になった取り組みで、手間と時間がかかるが、試食したお客様から「美味しい」といつも驚いて頂くことができる。
 「物」に「心」を込めると「惣」になる――。素材の良さをどれだけ商品につなげられるか、良い素材とのコラボレーション。それが一番大事なことではないかと考えている。素材の物語、京都の食文化を伝えるのが弊社のテーマだ。
 お客様の反応、事業との兼ね合いを踏まえ、商品の価値に合った値決めを、自信をもって進めていきたい。それが従業員のためにもなり、京都の食文化の価値向上にもつながっていく。今後も「オノウエ」というおばんざいのブランドを中心に、付加価値を高めていく。
 売場で頂くお客様の生の声を活かし、会社の発展に繋げていくことが、弊社の生きる道だ。「おばんざい」は学べば学ぶほど深い。家族を想うお母さんの気持ちに想いを馳せ、食卓にみんなが集まってくれるような惣菜を作っていく。
 座右の銘は「魅は与によって生じ、求によって滅する」。人間の魅力は、与えることによって生じ、求めるほどに減っていく、という意だ。自分は他人のために何ができるのか、行動する前に常に考えるよう心掛けている。お人好しと言われることもあるが、人のために何かを与えられる人間でありたいといつも願っている。
【尾上一幸(おのうえ・いっこう)】1964年京都府生まれ。洛南高校から、大阪府内の大学を卒業後、段ボール製造会社などを経て1996年専務として㈱オノウエ入社。2010年から代表取締役社長
(藤井大碁)
【2017(平成29)年1月30日第4877号2面】


株式会社オノウエ http://www.sozai-onoue.co.jp/
   
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